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GReeeeNからの大切なお知らせ

   

■2023年3月11日

 

東日本大震災から12年が経ちました。

 

未だに多くの方々や地域がその傷跡を癒やすことができていません。

 

復興はまだ進行中であり、私たちは引き続き、支援や心を寄り添わせ続ける必要があります。

そしてまた、あの日の震災は私たちにとって重大な教訓としてあり、明日起こるかもしれない災害に向かい合うことを教えてくれています。

 

世界ではまた新たな涙が流れています。

1日も早い復興と、平穏が訪れますように。

 

GReeeeN HIDE 2023年3月11日

     

■2022年3月11日

 

今年で11年、あれから本当に色々ありました。

昨今ではコロナによる疫病、そして軍事侵略における暴力。

 

2011年3月11日、我々はあの日、たった一瞬で多くの方の命が失われるのを目にしました。

そしてこの復興は11年たった今も、真の復興と呼べる状態ではありません。

 

テレビやメディアを通した情報では、悲しみを受けた人の数が数字で表されてしまいます。

しかし、その数字の一人一人が間違いなく、僕らやアナタと同じ人間であり、誰かを愛し、誰かに愛され、その人を待つ家族がいるということを再認識するべき時期が来たように思います。

 

あの日学んだことを伝えていきましょう。

そして悲しみの連鎖から笑顔の連鎖へと。

 

今年も花を咲かせ、待っています。

 

GReeeeN HIDE 2022年3月11日

     

■2021年3月11日

 

10年前のあの日のことは今でも深く胸に刻まれています。

時に、復興に向かう希望ある知らせを耳にし、穏やかな気持ちになることもありました。

キミマツサクラも昨年、場所を移し、新たな未来へと歩みはじめました。

ともに少しづつ前に進んでいきましょう。

この京都の地で、厳しい冬を越えて、百の花が芽吹く。

百花繚乱。

春の訪れを待ちわびて、ひらく蕾のように。

 

GReeeeN HIDE 2021年3月11日

 
 

■2020年3月11日

 
気がつけばあれから9年。
あの日起きた出来事や、信じられない光景は今も変わらず胸にありますが、時は流れます。
大事なこと、忘れちゃダメなこと、
次の世代に伝えるという意味でも大事にしていきたいと思っています。
そして今、世界中で新たな悲しみが広がりつつあります。
出来ることを一つ一つ行い、少しでも早くこの不安が過ぎ去り、
またみんなに笑顔がもどりますよう祈っております。
 
GReeeeN HIDE 2020年3月11日
 

■2019年3月11日【第6回東北復興応援のつどい】

 
8年の月日の中で、平成も終わろうとしています。
失ったものはあまりに大きく、決して何かで満たされるわけではありません。
しかし、それでも手を差し伸べてくれる人がいます。
これは普段の生活の中でもそうです。
縁があって、嬉しい喜びを運んでくれる誰かがいます。
その想いに気づけるよう、少し顔をあげてみましょう。
そして、支援をして下さる皆様。本当にありがとうございます。
きっとその想いが誰かの笑顔になっています。
僕たちもあの日の出来事を、あの日の悲惨な悲しみを忘れず、
それでも誰かの笑顔になれればと信じ歌っていきます。
ご冥福をお祈りします。
 
GReeeeN HIDE 2019年3月11日
 

■2018年3月11日【第5回東北復興応援のつどい】

 

あれから 7 年。

あの日起きた出来事を、

あの日から変わってしまった毎日を、

知らない子供達も多く居るでしょう。

あの日から学んだ事、

ずっと大切にしていかなくてはならないものを、

ちゃんと伝えていけるように、

私たちのできることをしていきたいと思っています。

キミマツサクラも

うららかな春を、

訪れてくれるみなさんを、

そしてあの日から進むべき未来を、

花を咲かせ見つめています。

 

GReeeeN HIDE 2018年3月11日

 

キミマツ_2018_1

 

■2017年3月11日【第4回東北復興応援のつどい】

 

今日であの震災から6 年が経ちました。

まだまだ困難な状況の中、復興への長い道のりを

必死に頑張っている人が、未だたくさんいらっしゃいます。

今こうして生きている私たちにはやれることがあるはずです。

それぞれのやり方でそれぞれのペースで。

伸ばせる手はどうか差し伸べて、

あの日の全てをいつまでも伝え、

あの日から少しずつみんなで前へ進んでいけたらと思います。

みなさんの優しさをどうかお貸しください。

忘れない。

 

GReeeeN HIDE 2017年3月11日

 

20170402_02

 

20170409_02

 

■2016年3月11日【第3回東北復興応援のつどい】

 

あの震災から5 年が過ぎました。

多くの時間が流れる中、

東北は未だ終わらない戦いを続けています。

あの日、突然失われた多くの命。

それぞれに大事な人がいて、志なかばで亡くなった命。

今こうして生きている私達は、

この当たり前の日常を精一杯生きて、前に進む事が、

何よりも大事な事だと思います。

悲しみを忘れる事は出来ませんが、

共に進む事は出来ると思います。

前に進みましょう。

 

GReeeeN HIDE 2016年3月11日

 

■2015年4月3日、京都嵐山『キミマツサクラ』が咲きました。

 

HIDEの贈った苗木が京都、嵐山駅に植樹され、

京都と東北の被災地を結び、

支援のメッセージを伝えていくプロジェクトとして、

育てられている「キミマツサクラ」。

沢山の方の支援の中、すくすくと育ってきた、

この桜ですが、なんとHIDEの誕生日である4月3日に

初めての花を咲かせてくれました。

これからも、キミマツサクラは、

復興への想いと訪れた人の幸福を祈り、

嵐山で皆様を待ってます。

ぜひ、京都を訪れた際は、お立ち寄りください

 

キミマツサクラ オフィシャルサイト

 

logo_greeeen02

 

http://kimimatsusakura.jp/

 

■2015年3月11日、京都嵐山キミマツサクラ桜色福プロジェクト

『第二回東北復興応援のつどい』に寄せて

 

東日本大震災から4年となる3月11日。

東日本大震災の復興を京都・嵐山から応援しようという

「キミマツサクラ桜色福プロジェクト」が開催する

「第二回東北復興応援のつどいイベント」に、

GReeeeNは、HIDEのメッセージと

各メンバーそれぞれの願いを書いた桜短冊で参加しました。

 

★B桜装飾

 

sakura

 

京都嵐山の「キミマツサクラ」は、2011年12月に「東北被災地の復興を願い

風化させない想いを京都・嵐山から!」との願いから、

HIDEが震災前に福島で育った三春滝桜の苗木を贈り、

「キミマツサクラ」と名付けスタートしました。

日本屈指の観光地である嵐山に植樹することで、観光客や地元の方々、

そして、復興を願う方々と共に育て、東日本大震災を風化させないことを願ったものです。

以下は、イベント内で読み上げられた、HIDEのメッセージです。

 

震災から4年という月日が流れました。

私たちGReeeeNもあの日、福島県で被災しました。

海沿いの町ではなかったので、津波の被害はありませんでしたが、

家の中は手をつけられる状況ではなく、

その日は車の中で一夜を明かしました。

 

それから徐々にわかってきた惨状。

それと同時に、私たちの住んでいた福島県の郡山市では、

ガソリンがなくなり、食料がなくなり、

電気がつかず、水道も1部を除いてストップする中、

海沿いの町から、命からがら逃げて来られた方々が、

大きな公営の施設に避難されてこられました。

 

そして、その日を境に、未だ、家に帰れず、

仮設住宅で暮らしておられる方がたくさんおられます。

私は、自分に出来ることがないか、考え、

GReeeeNとして、歯科医師として、出来ることを模索しました。

 

歯科医師として避難所を回り、

ご遺体の検死に行かせていただいたことで、

より多くの方の、悲しい現実を目の当たりにしました。

 

今もその多くの悲しみは癒えていません。

癒えていないのは人だけでなく、町もそうです。

嵐電さんに、『キミマツサクラ』と名付け、寄贈させていただけたことにより、

多くの方にこの桜を見ていただける機会を得ました。

 

見ていただいた方が、一瞬でもあの日はまだ続いていて、

悲しみはそこにあるけど、それでも花を咲かそうと、

前向きに、ひたむきに頑張っている東北の方々がいること。

それを思い出して、明日の自分に重ねて頂けるとしたら、

それはそれで意味のあることではないでしょうか。

 

東北には一杯素敵なところがあります。

是非遊びにいらしてください。

 

本日はこのような機会を頂き、ありがとうございました。

 

GReeeeN HIDE 2015年3月11日

 

sakura2

 

キミマツサクラ

 

2014年3月11日僕は福島県にいました。

歯科医師として診療をしていたとき、経験をした事がない激しい地震にあい、

目の前の道路は割れ、電車は脱線し、高速道路も駅も立ち入り禁止になりました。

町から食料は消え、ガソリンスタンドに数時間にわたり並ぶ、車の長蛇の列。

 

強い余震が何度も訪れ、そしてテレビに映し出された、あの『津波』の映像。

見慣れたいわきの海岸が、メンバーと焼きそばを食べに行った浪江の町が、

そして多くの東日本の海岸線の町が飲まれていきました。

 

そんな折に、原発事故が起きました。

 

あれから3年がたちました。

震災当時、歯科医師として回った避難所も、検死のために行ったあの町も、

少しずつ日常を取り戻しつつあるようですが、未だ地元に帰れない方々もたくさんいます。

 

今、生きて日常を過ごしている皆さん。

多くの、突然亡くなってしまった皆様に、3月11日は祈りを捧げましょう。

 

僕はそうします。

未だ行方不明の方も多くいらっしゃると思います。

僕らが出来る事は本当に小さいですが、祈らせて下さい。

そして、生きている僕らは、目一杯に生きるべきだと思います。

それこそが、小さな僕らが力を合わせ出来る、鎮魂だと思います。

 

また逢いにいきます。

それまで。

 

GReeeeN HIDE 2014年3月11日

GReeeeN「pray」(2011/6/22発表シングル「花唄」より)

 

HIDE弾き語り

福島県いわき市小名浜にて

(動画は現在、非公開となっております。)

■2011年5月 「Green Boys Project」をスタートします。

 

3月11日。

この国から多くの命と希望を奪ったあの災害から、2ヶ月が経とうとしています。

僕たちが生活を送る福島の沿岸部は、依然として、

厳しい状況下での生活を強いられています。

こんな時、自分に何ができるのか?

 

皆さんと同じように、僕たちも考え抜きました。

何度も、何度も考えました。

身近な方には、一人の人間として、

被災された方には、歯科医師として、

そして、

より多くの方々にはGReeeeNとして音楽を、と考えました。

 

震災当時、被災された方々が求めているものは、音楽ではありませんでした。

安全な場所であり、家族の無事であり、

水であり、薬であり、暖かい毛布でした。

 

今、季節は、冬から春へと移りました。

まだまだ、みんなが顔を上げて前へ進むことはできないかもしれないけれど、

今なら、音楽が、誰かの気持ちをほぐし、温め、勇気づける事が出来るかもしれない。

そう感じ始めています。

 

もちろん、批判やお叱りを受けることがあるかもしれません。

それでも今、僕たちGReeeeNにできることを、つまり音楽を、

一人でも多くの人に届けようと思います。

 

2011年5月。GReeeeNは、2つの新しい挑戦とともに

「Green boys Project」をスタートします。

 

1.新曲『Green boys』を、無料で配信します。

 

お水を届けるように、音楽を被災地へ届けたい。

その思いをカタチにします。

多くの関係者の方々にご協力のもと、

期間限定ではありますが、

『Green boys』を無料で配信できることになりました。

 

ダウンロードして聴くのも無料、

カラオケバージョンを落として歌うのも無料、

友だちや恋人にプレゼントするのも無料です。

もちろん、被災地で暮らす方々へ贈ることだってできる。

これが、僕たちなりの「できること」です。

 

※こちらの配信は2011年9月末をもって終了いたしました

2.みんなの想いをのせた、『Green boys』のミュージックビデオを制作します。

 

『Green boys』のミュージックビデオに、参加していただけませんか?

あなたと、まわりの人たちの写真を送ってください。

とびきりの笑顔でもいい。

何かに頑張る姿でもいい。

何かを失った悲しみや、深い祈りの表情でも構いません。

みんなの「希望」や「願い」をつなぎ合わせて、

『Green boys』の楽曲とともに、ひとつの大きな「想い」を、

被災地へ、そして世界中へ発信したい。そう考えています。

ケータイからも、PCからも、国内からも、海外からも、

自由に送ってもらえる仕組みをつくる予定です。

ご協力、よろしくお願いします。

 

※こちらの写真の募集は終了いたしました

 

この国が好きです。この国に暮らす人が大好きです。

いつかまた、この国のみんなで、

笑顔で明日を迎えられる日がくるのを信じております。

 

GReeeeN、JIN、スタッフ一同 2011年5月